昭和45年12月4日 矢次家霊祭           (末永信太郎) №45-156



 いつもの事ですけれども、この霊祭を肉親の方達が仕えられる。それを、私は取り次がせて頂く時ほど、何か知らん、取次者(みより?)を感ずる時はないね。皆さん方から喜んでもらうと、御霊様とに喜んでもらうと、両方から喜んでもらう感じね。そのことが、また、神様のお喜びになるでしょう。
 もう、本当に私は、もう御霊様のお祭りを仕える時ほど、有り難い思いをすることない。今日、善導寺の秋の御大祭でございました。あちらおかげを頂いて、お説教が薬院の先生でしたがね。その、薬院の先生のお話の中に、元日や何はなくとも親二人、という、その句ですよね、俳句です。それを言われた時に、私はもう、どうにも出来んほど、胸がその、いわゆる感動しましたですね。
 もう、本当に元日に、もう、何はなくとも、とにかく両親が揃うておったということにね、大変な感動を覚えて、それでなからなければ、これは作れない句だと思うです。もう、とにかく、まあ、親孝行の心の非常に厚い人が、これは作った句だと思うですよね。
 もう、本当に何はなくとも、元日何はなくとも、親二人。例えば、もう何も出けん。出けんけれども、親を思う一念だけは誰にも負けない。私は、信心とはそれだと思うですね。ですからね、例えばあの、本当に、そういう一念が神様の上に現される。ね。もう、何はなくても、一家中が信心をさせて頂いて、何はなくとも一家中で信心をさせて頂いておるということが、こんなにも有り難いことだという、その実感がね、頂けれる信心を頂きたい。信心はしよるけれども、何とはなしに白々しい。
 信心はしよるけれども、親を大事にせにゃんことは分かっとるばってん、大事にせんちゅうなら、もう、信心なもう、なかと同じこってす。ね。もう、私はおかげを頂いたのは、もう、それだと思います。もう、私は昨日も、両親を日田の綾部さんのところから、昨日、相撲とりの一行が来ましてね。あの、迎えに来ると言うので、まあ、用意をさせて。もう、私がもう、下着から、こう着せてやってね。それで、四時頃来るというのですから、三時頃から年寄り用意して待っとるけれども、待てども待てども来ん。
 それを、私はちょうど、来る六時半まで、両親と二人でその車を待っとったん。その待っとる間にね、その待っとる間に、もう、本当に私と両親との、もう、こんなよか息子を持ってから、もう何ん言うことないちゅうようなものがね、親が感じただろうようなものを、私も感ずるです。
 いわゆる、今日のお説教の中に言われたようにですね、元日に何はなくとも、親二人。親二人揃うておるということ。ね。だからこれは、なら、私が申します信心とはね、そういう親を頂いておるということの喜びを感ずる稽古なんです。天地金乃神、親神様とめぐり合うただけでね、信心をしよるというだけで、その感動がなかったら駄目だ。何はなくても、お母さん、考えて見りゃあ、一家中でこうやって信心させて頂いておるということは、まあ、何と有り難いことか、と。これなんです。これが、実感に分かることなんです。ね。今日の霊祭でもそうです、ね。
 前々から、願いに願い、祈りに祈って、御霊様のお喜び頂けるような。本当を言うたならば、自分の自宅で親戚でも呼んで、お祭り、式年祭を仕えて頂きたいのだけれど、お母さんが病院に入院しとるから、それが出来んから、今日はここの教会で、教会で一つ奉仕して頂きたいということで、まあ、このお祭りになった。ね。その、例えばね、その親を思いに思うと言うか、先祖を思いに思うという、その思いがこのお祭りに現われておらなければ、値打ちはない。
 そして私は、色々、さあ、四時の、一時がよかろうか四時がよかろうかと言うておって、大体四時に決まった。どうぞ、せっかくなら(    )というので、まあ、遅うなった。ああ、何やかにや、そしたら、ちょうど今日は(宮原先生?)が稽古日だと、こう言う。私は、もう直感しましたね。今日の御霊様のお祭りはね、今日ここで、しかもこの時間でなからなければいけなかったということですよ。ね。
 してみると、八次さんの病院入院やらもですね、やはり、そのためであったと言うたっちゃ、過言じゃないです。ね。ここで、例えば、なら、楽人さん方が霊祭でですよ、個人の霊祭で、んなら、六人も揃うてしたことは初めてですし。ね。もう、久留米の初代の、それこそどうにも出けない、または二代のね、働き。または、八次さんなんかが楽人さんで、松美先生なんかのあれを受けておられるのですが。
 そういう御霊様方の働きもあって、私は今日は、宮原先生がここに見られたような感じがするですね。結局、その御霊様に喜んで頂きたい、喜んで頂きたいといったような思いがね、思い思われて、このお祭りが出けたという。だから、そこんところ、何はなくても、私どもがお道の信心させて頂いておるから、先祖のことをこのように真心を込めて、思いを込めて、形式じゃない。とにかく、御霊様に喜んで頂けれるお祭りを奉仕して頂きたいという、それが信心だと、私は思うです。ね。
 元日や、何はなくとも親二人。ね。何はなくても、親が揃うておってくれるということ。その親に一生懸命の孝行の真似事でも出けるということ。その親の喜びを、自分の喜びに出けること。それこそ、元日に何はなくても、これ以上の喜びがあろうかという、私は親孝行の気持ちの人が、この句を作ったんだろうと思うがね。八次さん達の上にも一つね、金光様様の御信心ちゃそうです。きんやさん方ご夫婦も、いっちょ、どうぞここんところをですね、金光様の御信心とはもう、本当に親不孝したいという子供はどこもおりゃしません。ね。
 いっちょ、家の親に不孝してやろうというような子供はおりゃしませんのだけれどです。ね。けれども、その、本当に親孝行しようごとしてたまらんという心が、信心だと、私は思うです。ね。そういう意味合いであなた方の場合は、なら、こうして両親が揃うておる。揃うておる間に、本当に安心してもらいたい。または、喜んでもらいたい、これなんです信心ちゃあ。ね。
 神様に喜んでもらいたい、神様に安心して頂けれる信心が頂きたい。だから、喜びのおかげが頂けるのであり、安心の大みかげまで頂けてくるのです。御霊様に対する思いも同じこと。ね。御霊様に喜んで頂きたい、御霊様に喜んで頂きたい、と。それを、例えば前々から、思いに思いつづけて、このお祭りが出けた。ね。そういう思いが出けることが、信心なんです。その思いを御霊様が喜んで下さらないはずがない。
 その喜びが、例えば、今日のこういうような雰囲気でお祭りが出けるようなおかげにまでなって来た。ね。それを、私どもが本当に、そうだと信じて分からせてもろうて、信心させて頂いておるということは、何ちゅう有り難いことじゃかねえと、一家中の者が言い合えるということなん。何はなくても、この信心さえ頂いときゃいいという、私は信心をね、いよいよ現して行かなきゃいけないと思いますね。
 今日の御霊様のお祭りを頂かせてもろうてね、本当に、ね、それこそ、私が今日、だから今日はさっそく高橋さんが手帳に、そのことだけは書き止めて来たばってん、もう、書き止めんでええ、私の心の中に止まっとる。ね。元日に何はなくとも、親二人。親二人揃うておるということは、このような素晴らしいことはない。だから、その二人の親に安心してもらいたい、と。ね。または、喜んでもらいたい、この一念を燃やすことが信心だ。ね。
 だから、本心の玉を磨くことも、日々の改まりもです、ね、改まらなければその心が出て来ない。本気で磨かなければ、そういう思いが、高度なね、純粋なものになって出て来ない。ね。もう、何はなくても、息子達が、または嫁が、ね、この信心をこのようにして受け継いで、このようにして親孝行してくれるけん、もう、有り難いというその心がね、もう、子供達の上に反映して来ないはずはない。そのこと事態が、天地の親神様のお喜びにならないはずがない。ね。
 金光様の御信心ち言うたら、御霊様のお祭りしたけん、御霊様だけで良いということじゃない。神様にも長々とそのことをお願いをさせて頂いて、天地の親神様のお許しを頂かなければ、なら、お茶一杯、お神酒一杯頂けんのが、御霊様と神様とのシステムなんです。そういう仕組みになってる、天地の中には。どんなに御霊様が好きじゃったから、甘い物が好きじゃったからち、どがしこ、(         )お供えしたっちゃね、それを御霊様が力がなからなければ受けられん。
 天地の親神様のお許しを頂いて、言うなら、お仕着せなん、着物一枚だって。ね。ですから、その天地の親神様のお喜びを頂けるような信心をさせて頂くということが、そのまま先祖の御霊にも繋がるということに、私はなって来ると思うんですよ。ね。だから、そういうところの念というかね、思いというものを段々強うなって行く。親に喜んでもらわなければおられない、親に安心してもらわなければおられないという、その一念を燃やすことが、私は信心だと思います。どうぞ。